何気なく置かれているモニュメント、でも考えてみると何か記念すべきことがあっての建造物ですよね。マルセイユを代表するモニュメント3点を歴史とともに紹介したいと思います。
凱旋門Arc du Triomphe、別名エクス門
マルセイユに来たらこれは必見です。
王政時代の1784年、マルセイユの参事官たちがルイ16世を讃え、アメリカ独立戦争終了を記念すべくこの凱旋門の建造を決定しました。城壁の北の入り口エクス門Porte d’Aixの場所に建造されたため、別名エクス門と呼ばれています。
完成時には革命を経て民主主義の国家になっていたので、モチーフは全てナポレオンの戦勝を記念したものになっています。革命の伝播を恐れた帝政ロシア、プロイセン、イギリスと戦い、フランス革命後の民主政権を守り抜いたという訳です。
建造に至るまでの歴史や浮き彫りの説明を別記事で詳細に記載してありますのでご参照ください(「マルセイユ観光4〜凱旋門、別名エクス門」)。
ヴィユ・ポールから徒歩14分。
東方門 Porte de l’Orient
東方軍および僻地における戦没者慰霊碑Monument aux morts de l’Armée d’Orient et des terres lointaines が正式名称です。
東方門 Porte d’Orientは、第一次世界大戦(1914〜1918)の東方軍の戦没者を追悼して建造されたものです。トルコや東欧方面で戦った戦士たちの慰霊碑です。2011年に歴史的記念物に登録。
海を望んでジョン・ケネディ大統領通りCorniche du Président John Kennedyに位置しています。「1915」「1916」「1917」「1918」の数字が見えます。第一次世界大戦で東方軍が活躍した年代が刻まれている訳ですね。
ヴィユ・ポールからならバス83番で20分。美しいヨットハーバーや海を見ながらなので散歩がてら徒歩でも全然行ける距離です。
小さな港を持つヴァロン・デ・ゾッフのすぐ側なのでに立ち寄ってみるのも良いかもしれません。ここはブイヤベースのお店フォンフォンがあることでも有名です。
マザルグのオベリスク Obélisque de Mazargues
パリはコンコルド広場に立つオベリスクのコピーで、1811年彫刻家パンショーPenchaud作です。
1811年3月20日にナポレオン1世の子が生まれると、マルセイユ市長の提案により、このフランス帝国の後継者である王子にオベリスクを捧げることを4月22日 市議会は決定しました。
こうしてカステラーヌ広場中央、ローマ通りの南の突き当たり、現在カンティーニ噴水のある所にオベリスクが建てられました。オベリスクはパリのを複製したものです。
100年後の1911年、その延長線上ミシュレ通りの突き当たり マザルグ広場に移されました。
17世紀ルイ14世が1直線のローマ通りを整備し、北のジュール・ゲード広場(後の王政復古時にエクス門が建造された)から南のカステラーヌ広場までマルセイユ市街には1つの軸が形成されました(「ルイ14世によるマルセイユ大改造」参照)。
その後人口増加により街は拡大し、この軸をさらに伸ばす形でミシュレ通りが整備され、その1つの区切りとしてこのオベリスクが置かれた、という訳ですね。
余談ですが、20世紀初頭に文筆家である外国人旅行者がカステラーヌ広場を訪れますが、あまりに簡素な1本の塔を見て、インパクトに欠けるといった印象を持ったようです。現在は壮麗な噴水になっていますから、北の荘厳なエクス門と好一対を構成しているかもしれません。
カステラーヌ広場からバスB1番や22番に乗り、Obelisque停留所で下車。
別記事「マルセイユの食事処5選」で紹介したヴァントル・ド・ラーシテクトLe Ventre de l’Architecte(建築家のお腹)というレストランがユニテ・ダビタシオンに入っている(カステラーヌ広場とオベリスクの中間あたり)ので、オベリスク見学とここでの食事を組み合わせても良いかもしれませんね。
まとめ
何気なく置かれたモニュメント、その歴史を知ることによって少しでも興味を持つことに繋がれば幸いです。この街では噴水も何かを記念するために置かれています。別記事「マルセイユの噴水3選」で独断と偏見で選んだ噴水のベスト3を紹介しているのでご参考になればと思います。
マルセイユでの滞在先はお決まりですか?マルセイユを徹底的に観光するなら旧港(ヴィユ・ポール)周辺、マルセイユを拠点にエクサンプロバンスやアルル、ニームへの日帰り旅行を予定しているならサンシャルル駅周辺が便利です。