マルセイユ観光でこの凱旋門は必見です。見事な浮彫装飾が施されたモニュメントはアメリカ独立戦争やナポレオン戦争、7月革命等の重要な歴史的背景を持ち、マルセイユの街の南北の軸を形成する重要な場所に位置しています。
王政時代の1784年、ルイ16世を讃えると共にアメリカ独立戦争終了を記念すべく、この街の参事官たちの発案によりこの凱旋門の建造が決定されました。城壁の北の入り口エクス門Porte d’Aixの場所に建造されたため、別名エクス門と呼ばれています。
マルセイユから北のエクサンプロバンスAix-en-Provenceに行く時に潜る門なのでエクス門という訳ですね。現在はもうありませんが城壁の南にはローマ門Porte de Romeがありました。ローマ方面に行く門ということですね。
1982年にフランス歴史的記念物Monuments historiquesに登録されました。
エクス門建造の歴史年表
1784 ルイ16世を讃え、アメリカ独立戦争終了を記念すべくこの凱旋門の建造を決定。
1789 フランス革命勃発により計画は一旦頓挫。
1814 フランス王政復古(〜1830)。
1823 シャルル18世率いるスペイン遠征。スペインでも自由主義を廃して王政を再確立するのが目的。ブルボン家フェルディナンド7世を王位につける。
1823 時のマルセイユ市長発案で、アングレーム公爵のスペイン遠征を讃えるべく、凱旋門建造の計画が再浮上。
1825 ジュール・ゲード広場place de Jules-Guedeが整備された後、門の建造開始。
1830 7月革命により、強い王権を認める君主制から民主的な議会政治による君主制に移行。7月王政(〜1848)。
1839 凱旋門が完成。パリ凱旋門ができてから僅か3年後です。
凱旋門の装飾
もともとは王政下で建造が決定された凱旋門ですが、完成するのは7月革命後の民主制が再確立した後のことですから、王政復古のためのスペイン遠征をテーマにすることは不都合がありました。このため凱旋門に施された浮き彫りは全て、ナポレオン戦争や自由がテーマになっています。
建造を担当した建築家パンショーPenchaudは、パリ凱旋門と同様、ローマのティトゥス凱旋門(紀元82年建造)をモデルにしたと言われています。高さは18メートルで浮き彫りの装飾が施されています。柱は流麗なコリント様式です。
浮き彫りのテーマはフルリュスの戦い(1794年)、ヘリオポリスの戦い(1800年)、マレンゴの戦い(1800年)、オーステルリッツの戦い(1805年)、です。全てナポレオン率いるフランス軍が、革命の拡散を阻止しようとする対仏大同盟(神聖ローマ皇帝、ハプスブルク帝国、イギリス)に対して勝ち取った戦いです。
北側の彫刻はアンジェ出身の彫刻家ダヴィッド・ダンジェ(1788-1856)による作で、南側はパリ出身の彫刻家エチエンヌ・ジュール・ラメー(1796-1852)の作。
浮彫り、彫刻のテーマ
北側正面
北側正面ー西側(向かって右)の浮き彫りは1794年のフルリュスの戦いがモチーフになっています。現在のベルギーにあたるこの場所で、フランス軍はイギリスおよび神聖ローマ帝国の対仏大同盟に対し決定的な勝利を収めました。
上段は神聖ローマ帝国のザクセン・コーブルク元帥が軍帽を外し服従の意を込めて剣を差し出すのを、フランス軍のジュルダン将軍が押し留めることにより寛容がテーマになっています。下段ではヨーロッパで使用される武器一式を背景にして、大砲に「Fleurus」の文字を刻んでいる勝利の女神が彫られています。
北側正面ー東側(向かって左)の浮き彫りは1800年のヘリオポリスの戦いがモチーフになっています。ヘリオポリスは現在のエジプトで、オスマントルコ軍に対し、クレベール将軍率いるフランス軍が勝利しました。
上段はクレベール将軍が敵であるトルコの3人の将官の服従を受け入れる図、下段は東方(トルコ・エジプト)で使用される武器一式を背景にして勝利の女神が彫られています。
南側正面ー西側、マレンゴの戦い
南側正面 西側(向かって左)の浮き彫りは1800年のマレンゴの戦いを表しています。マレンゴはイタリア北部で、ナポレオン率いるフランス軍と神聖ローマ帝国との戦いです。馬上のナポレオンの絵をよく見ると思いますが、この馬はナポレオンの愛馬で、この戦いにちなんでマレンゴMarengoと呼ばれていました。
上段はナポレオンの信任の厚かったドゥセー将軍の死をモチーフにしており悲しい雰囲気が醸し出されています。下段は、武器一式と「Marengo」と刻まれた柱が彫られています。女性像は勝利の女神といった所でしょうか。
南側正面ー東側、オーステルリッツの戦い
南側正面ー東側(向かって右)の浮き彫りは1805年のオーステルリッツの戦いを描いたものです。オーステルリッツの戦いは「3皇帝の戦い」とも呼ばれるように、フランスのナポレオン皇帝が、ハプスブルク帝国(オーストリア)のフランツ1世とロシア帝国のアレクサンドル1世に挑んだ戦いです。フランス軍の勝利に終わりました。
上段はナポレオンと、出陣の意欲を表した将軍の図、下段は武器一式、および「Austerlitz」と刻まれた柱が彫られています。男性像は剣を持っているので軍神といった所でしょうか。
アーケード下
東側はダヴィッド・ダンジェ作、西側はジュール・ラメー作です。
↑東側の浮き彫りは、祖国の女神が民衆に自由の守護のために戦うのを鼓舞する図です。一番左、高い位置に座しているのが祖国の神で、腕を差し出して志願兵に武器を渡しています。その他の人物群は彫刻家の友人や家族がモデルになっています。
↑西側の浮き彫りは「祖国への帰還」あるいは「祖国の女神から褒賞を受ける勇士」の図です。こちらも「その他大勢」は友人・家族がモデルになっています。
北側正面上部の彫像
エクス門はエクサン・プロバンスから入る門なので北側が正面ということになるかもしれません。ペディメントには北側も南側も同じく下の句が刻まれています。
自然なフランス語ではMarseille, reconnaissante à la Républiqueとなる所ですが、これだと「マルセイユ」が「共和国」の上位に置かれてしまいます。長い自治の間に絶対王政の時にも国に対し反抗的な街だった訳ですが、ルイ14世時代より国に従うことになりました。「共和国」の方を「マルセイユ」の上位に刻印することにより、共和国になってからも国に従順な街であり続ける意図を表明していると言えます。
門の北側には4本の柱の上に台座が設けられ、女神像はその上に乗っています。トーガやヘルメットは古代ギリシャ・ローマの様式です。フランス革命後の19世紀フランスではこういう凛々しい感じの女神像がよく表象されますね。共和国 La Républiqueが女性名詞なので女性像で表されるようです。
女神像は、左からそれぞれ「献身」「慎重」「諦念」「威力」を象徴しています。
一番左は「献身」の女神で、左手を胸に当て右手は剣を持って構えの姿勢を取っています。上の写真では見えませんが、その足元には、ペリカンの親が3羽の子供に食べ物を与えている彫像が添えられています。
その右は「慎重」の女神で、劔の刃がきちんと研がれているか指で触って確認しています。
3つ目は「諦念」の女神で、折れてしまった剣を手に瞑想しています。
一番右は「威力」の女神で、右手に持った剣で地面を指し、打ち負かした獅子の鬣を左手で撫でています。
アクセス:メトロ2番線ジュール・ゲード駅 Jules Guedes、あるいはコルベール駅Colbert下車。徒歩でもヴィユ・ポールから12〜13分くらい。
あとがき
如何でしたでしょうか。戦勝を記念するモニュメントである凱旋門、当初は王による遠征を讃えるものだったのが、革命による民主政への移行を経て、この政体を維持すべく戦った4つの戦争をモチーフにした浮き彫りで飾られることになった訳ですね。
全体的に厳粛な威容を誇っており、調和の取れた素晴らしいモニュメントです。晴れの日が多いマルセイユ で、青空をバックにした凱旋門が今日も美しく映えていることでしょう。
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