【パリ観光】バスティーユ、リヨン駅を起点とした散歩道(お勧め)

バスティーユと言えば若者の街(お洒落なカフェが点在)でもあり文化的な場所(オペラ座)でもあります。でもここを拠点に、普通のパリ観光とはちょっと違った散歩を楽しむこともできます。ノートルダム寺院まで行って戻って来るまでの行程をご紹介したいと思います。

バスティーユあるいはリヨン駅を起点とする散歩ルート

1. バスティーユ広場

オペラ・バスティーユ

まずはここバスティーユ広場Place de Bastilleから出発。フランス革命200周年を記念して建てられたオペラ・バスティーユ、大変近代的な建物ですね。スクリーンには現在および近日中に催される公演の広告が表示されます。その下の大階段はよく若者が待ち合わせ場所に利用しています。

7月革命の記念柱

バスティーユ広場の中央には7月革命の記念柱Colonne de juilletが立っています。

ここには元々、ボナパルトの発案で革命を記念するオブジェとして象の形の記念碑建造が計画されていました。

1813年に取り敢えず原寸大の石膏のモデルが建てられ、最終的には青銅製になる予定だったのが実現せず。

ヴィクトル・ユゴーは作品レ・ミゼラブルでガヴローシュの住処としています。それにしても凱旋の記念に象の形のオブジェ建造にこだわったナポレオンの奇抜な発想も去ることながら、これを作中人物の住まいに設定するユゴーの発想にも脱帽してしまいます。

1836年に、台座はそのままにして現在の青銅製の「7月革命の記念碑」に置き換えられた訳ですが、これは1789年の7月ではなく、1830年7月に起こった革命を記念したものです。

1789年 第一共和制が誕生

1804年 ナポレオンによる帝政

1815年に王政復活、ブルボン家の後裔シャルル10世(ルイ16世の弟)が王となる

1830年7月、議会に対抗して王権を強めようとする風潮に民衆が反発し、にこれを倒してオルレアン家のルイ・フィリップを王に推戴

記念碑はこの革命、すなわち7月革命を記念したものという訳です。なお、この革命は7月27、28、29日のたったの3日間で成就したためフランスでは「栄光の3日間 Trois Glorieuses」と呼びます(日本語や英語では「7月革命July Revolution」ではフランス語では正式にTrois Glorieusesです)。

(ついでに言うと、観光好きな日本人には「栄光の3日間」と聞いてブルゴーニュ、ボーヌのワイン祭りを想起する人もいらっしゃるかもしれませんね。)

柱はコリント様式でできており(柱頭に華麗な葉の装飾が施されている)、その上には黄金色に輝く「自由の精霊 Génie de la Liberté」が見られます。羽根を伸ばした男性像で、右手には灯火、左手には断ち切られた鎖を持っています。フランスでは男性名詞なら彫像は男性像、女性名詞なら女性像で表します。 La liberté(自由)は女性名詞なので女神像で表されることが多いのですが、ここではLe génie (精霊) という男性名詞により男性像になっています。

ちなみに、メトロのバスティーユ駅で下車して街の中心の方に行きたい場合、この精霊が向いている方向に行けばOKです(サン・アントワーヌ通り)。

記念柱の台座には「Juillet」「1830」の文字の上に「27」「28」「29」と刻印されていますが、革命の3日間の日付という訳です。

ドラクロワの有名な作品「民衆を導く自由の女神」は、実はこの7月革命が題材になっています。1789年のフランス革命ではなく。


2. アルスナル港の河岸

ここではその反対側、多くのヨットが停泊しているアルスナル港の河岸に降りていき突き当たりまで行きましょう。アルスナル港は以前は主にワインや小麦、木材といった商品を荷揚げする商業港だったのが、1983年に整備され、177隻のプレジャーボートが停泊できるヨットハーバーになりました。

鋪道や樹木、街灯など整備されています。鋪道に沿って芝生もあり、天気の良い日はパリっ子が飲食物を持ち寄ってピクニックしています。アルスナル港公園Jardin du Port-de-l’Arsenalという名称の、れっきとした公園です。

船のデッキにはテーブルと椅子が設え、屋外でアペリティフや食事を取れるようになっているものもあります。

白鳥が優雅に泳いでいました。

↑突き当たりを曲がると、通ってきた船着場とセーヌ川の間を結ぶ橋に出ます。セーヌ川の水位は船着場よりも低くなっていて、実はこの鉄橋の下部が船着場の水位を維持するため堰き止めるようになっています。

セーヌ川から入って来る時にはもう一方の堰も閉じられ、徐々に水が入ってきて船着場と同じ水位になった時点で「橋」が開き、船着場に入れるようになるという訳。この船のエレベーターの仕組み全体をEcluse(エクリューズ、閘門)と呼びます。ここの正式名称はアルスナル閘門 Ecluse de l’Arsenal。1983年アルスナル港整備時に自動化(電気仕掛け)されました。

橋を渡った所に歩行者用のトンネルがあり、そこを抜けた所です。手前にメトロ5番線の高架、奥がセーヌ川です。

この歩行者用トンネルは2008〜2009年に作られ、その前まではなんと閘門横の狭いスペースを、水中に落ちないよう注意して反対側に出ていました。

なんとこの場所、2019年公開のリュック・ベッソンの最新映画「ANNA」の一場面で使われてます。KGBのNo2の女性が車に乗って、休暇帰りのアンナと待ち合わせる場面です。

線路下を通ればセーヌ河岸に出ます。


3. セーヌ河岸

セーヌ川の向こうの方にノートルダム寺院が見えます。そちらに向けて散歩を続けます。やはり綺麗に整備されています。開けた視界に入るのは樹々、石畳、川、ボート...とても穏やかで癒されます。

↑進んでいくと、こんな狭い歩道になります。左奥はサン・ルイ島です。

セーヌ川沿い、ノートルダム寺院を目指して道なりに歩いて行きます。この建物はカフェになっていてカウンターでドリンクを注文支払いを済ませ、自分で外のテラスに運んでいくシステム。外のテラスは南向きで一日中 陽が差しています。

↑カフェを過ぎたあたりで階段を登って地上の歩道へ。橋を渡ってサン・ルイ島に渡ります。


4. サン・ルイ島

↑ ベルティヨン本店。日本ではあまり見かけないピスタチオのアイスクリーム、特にここのは美味だと思います。

ピスタチオとレモンを選びました。

本店でなくとも、BERTILLONと書かれたお店が周辺にいくつかあります。ベルティヨンのアイスを頂きながらサン・ルイ島を歩くのがちょっとした贅沢。

歩を進めてサン・ルイ島の反対側の河岸に出ました。とてもシックな界隈。どんな人たちが住んでるんだろう。(この手前、サン・ルイ等の真ん中の道を進んでも良し。)

進んでいくとシテ島に渡る橋が現れます。ここはミュージシャンによる演奏やローラーブレードの見世物が見れます。自分たちの楽しみのためにやっているのかもしれませんが、あまりに高度なので通りがかりの人たちは立ち止まって思わず見入ってしまう程です。


Booking.com

5. シテ島と国外追放受難者記念館

国外追放受難者記念館の入口

­シテ島の先端に小さな公園があります。

公園の中には第二次世界大戦中にナチスにより船で国外の強制収容所に送られたユダヤ人を追悼する記念館、国外追放受難者記念館 Mémorial des Martyres de la Déportationがあり、無料で入ることができます。

身分証明書を預ければ無料でオーディオ・ガイドを借りることもできます。

強制収容所から生還した弁護士、および強制収容所で亡くなった夫の未亡人が1952年に設立したアソシエーション「記憶のネットワーク Réseau du Souvenir」の要請により、パリ市およびフランス内務省の了承を得て、1954〜1964年にかけてノートルダム寺院の背後、島の突端に位置するこの場所に記念館が建てられました。

↑ここから降りて行きます。

↑降りた所。船の形を思わせます。鉄柵の向こうはセーヌ川。黒い鉄格子、先の尖った棒と鋭角がこちらを向いている三角形の組み合わさった黒いオブジェは、何か心理的に追い詰められるような感覚を覚えます。

降りてきた階段(左)と記念館入口(右)。

壁上部の碑文は以下の通り。悲痛さを覚えるような字体で刻印されています。

Pour que vive le souvenir des deux cent mille français sombrés dans la nuit et le brouillard exterminés dans les camps Nazis.

夜と霧の中に沈みナチス強制収容所で絶滅させられた20万人のフランス人の記憶が生き続けるように。

床の碑文は以下のように刻印されています。

Ils allèrent à l’autre bout de la Terre et ils ne sont pas revenus.

彼らは地の果てに行ってしまい、戻ることはなかった。

国外追放にあったフランス人の数を県ごとに表したもの。フランスに亡命していた外国人は含まれていないと書いてあります。

↑ 壁に刻印されたメッセージ。

ここに展示された文書は、いかに厳しく挑発的であろうとも厳密に真正なものである。ある民族に対して嫌悪感や復讐心を煽るものではなく、ひとえに、これらの酷い状況を生み出すに至った狂信的イデオロギーに対するものである。寛恕するとしても、それが犯罪や忘却を助長するようなことはあってはならないし、このような悲劇を呼び戻すようなこともあってはならない。

↑碑文に関する説明書きがフランス語、英語、ドイツ語で書かれています。

この碑文はこの場所の精神そのものを表しており、この記念館の建設中に「記憶のネットワーク」が支持してきた目的を表している。第二次世界大戦から20年を経て、失踪者の家族および生存者は、ドイツ民族とナチスを悪評のもと一緒くたに断罪することはしない、という意思を表明している。彼らは、民主主義的価値が浸透するよう推進すること、第三帝国が犯した犯罪を忘れることなく、平和と正義に則ったヨーロッパを建設することを願い、いつでも再燃しうることに警鐘を鳴らしているのである。

月曜の定休日および祝日を除き10時から17時まで(夏季4〜9月は19時まで)オープンしています。

ノートルダム寺院から後ろに回ってくるとこの場所に着きますから、是非足を伸ばして、荘厳なこの場所を訪れ犠牲者の冥福を祈ると良いかもしれません。


6. ノートルダム寺院

­公園を出るとノートルダム寺院に続く歩道が伸びています。結構観光客が歩いています。

横から見たノートルダム寺院(セーヌ河に面している)。今まで内側からしか見たことがなかった有名な薔薇窓、外側も充分美しいです。2019年5月の火災で尖塔が崩れ落ちてしまいましたが、上の写真は尖塔が残っていた同年3月に撮ったものです。

ノートルダム寺院の正面。いつも長い行列…。前回入ったことがあるから今回は外側を眺めて満足することにします。

2019年5月15日(月)の火災で屋根の一部が陥落、現在は修復のため周辺地域には入れなくなっています。いつも観光客でいっぱいの広場にも行けないようブロックされています。でもセーヌ河を渡れば寺院の横の部分、また更に進めば正面も見ることができますよ。少し距離を取ることになるのでかえって綺麗な写真が撮れるかもしれません。


7. パリ市庁舎および市庁舎広場

ノートルダム寺院を前にして左側に進むと、シテ島を出てセーヌ右岸に出ることができます。これはその橋の上からの景色。前方に見えるのはパリ市庁舎。左前方、青く見えているのはポンピドゥー・センターの上部です。

パリ市庁舎の前に着きました。「パリ市庁舎 Placde de l’Hôtel de Ville」という呼称ですが、1803年までは「グレーヴ広場 place de Grève」と呼ばれていました。

グレーヴとは砂利の広がった河岸や海辺を指します。セーヌ河岸が整備されるまでは、杭の列により2つの部分に区切られ、上の部分は市庁舎前の平らな部分で、この境界線から下はセーヌ河畔まで砂利の坂がダラダラと続いていた状態でした。

荷揚げするには格好の場所であるため、このグレーヴ船着場は、それまでシテ島にあったものに代わりパリで最も重要な船着場となり、木材や小麦、ワインや干し草等が荷揚げされていました。

グレーヴ広場では12世紀初頭には市が立つようになり、これがきっかけでパリの街がセーヌ右岸に発展していくことになりました。

19世紀以降 現在「グレーヴをするfaire grève」と言えば、政治への不満を表明するため人々が市庁舎前のこの広場に集まったことから「ストライキする」ことを意味しますが、当時はこの広場に来れば日雇いの仕事にありつける事から、「グレーヴ広場で日雇いの仕事を待つ」ことを意味していました。

19世紀初頭から2世紀近く「市庁舎広場」と呼ばれていたこの場所は、実は2013年4月22日に「市庁舎広場-解放のエスプラナード Place de l’Hôtel-de-Ville – Esplanade de la Libération」と改称されています。1944年8月24日から25日にかけての夜中、レジスタンスを始めパリ解放に貢献した人々への敬意を表明するためです。

ここからメトロ1番線に乗ればバスティーユあるいはリヨン駅に戻ることができます。あるいはファッション発信地マレ地区ポンピドゥーセンターに足を伸ばしても良いですね。ショッピングならパリ市庁舎前のBHVというデパートもお勧めです。