モンペリエ観光 厳選5ヶ所

南仏といえば、ニース、マルセイユ、モンペリエが筆頭に挙げられます。パリを含め北フランスの人たちがヴァカンスで過ごす南フランスの行き先でもありますね。

モンペリエは南仏ラングドック=ルシヨン地方に属していました。この地方とミディ=ピレネー地方が行政的に1つにまとめられ、2016年正式にオクシタニー地方と命名されました。したがってオクシタニー地方の街ということができます。フランス全国で地方の再編成が行われました。まだ最近の話ですよね。

南仏は古代ギリシャや古代ローマ時代から発展した町が点在しますが、近隣のニーム、ナルボンヌは当時から知られていたのに対し、モンペリエは中世から文献に登場します。コンポステル巡礼路の宿場町の1つだったのと、モンペリエ大学医学部によって名を知られるようになった経緯があります。

市内の観光スポットは全て徒歩で行ける範囲にあります。ビーチに行くにはトラムやバス等の公共交通機関を利用します。

モンペリエ観光マップ

1. コメディ広場と旧市街

いつも賑わっているコメディ広場。奥に見える建物はオペラ座

モンペリエ・サンロック駅に着いてマグローヌ通りrue de Magueloneを真っ直ぐ行けばコメディ広場に着きます。徒歩5分とアクセスは良いです。

モンペリエ観光の出発地点です。舗装されて綺麗な広場です。オープンテラスのある素敵なカフェが並んでいます。そしてトラムも走っていてなかなか良い感じの街を予感させます。

ここから(ここを通って)、後述する凱旋門やアンティゴーヌ集合住宅に行くことになります。Monoprixという大きなスーパーがあるので、ビーチに行く前に飲み物やスナックを買っていくと良いかも。

オペラ座もこの広場に面して立っています(上の写真の正面に写っている建物)。オペラ座に面して左に行けばサンロック駅、右側に行けば旧市街です。旧市街にはレストランがたくさんあるので、昼食や夕食をこの辺で取ることができますね。

2. 凱旋門、シャトー・ドー、サン・クレマン水道橋

モンペリエの凱旋門

凱旋門

フランソワ・ドルベーFrançois d’Orbay(1634〜1697)の構想に従い、オギュスタン=シャルル・ダヴィエAugustin-Charles d’Avier(1653年〜1701年)により1691年に建造されました。

通り抜けた先にあるペイルー遊歩道と共に1954年に歴史遺産として登録されました。

上部に刻印されている献辞に見るように、ブルボン王朝のルイ14世(1638〜1715)の功績を讃えた建造物です。

Ludovico magno LXXII annos regnante
dissociatis repressis conciliatis gentibus
quatuor decennali bello conjuratis
pax terra marique parta 1715

直訳に近い形で翻訳すると、「偉大なルイ王の72年間統治下、分裂し抑圧され、和解した民衆に、共に闘った40年の戦争により、地上と海に平和がもたらされた。1715年」。

「分裂し抑圧され和解した民衆」とか「40年の戦争」とは何のことでしょうか?

実はこのルイ14世は、あの「ナントの勅令」を出しブルボン王朝を開いたアンリ4世の孫なんですね。ナントの勅令は、新教徒(ユグノー、プロテスタント)に信教の自由を約束することにより、互いに殺戮しあっていたカトリックとプロテスタント間の内戦(1562〜1598)を集結させた勅令です。

ルイ14世は1685年に「フォンテーヌブローの勅令」により、ナントの勅令を破棄するに至り、多くの新教徒たちは近隣の国々に逃れました(フォンテーヌブローの勅令はルイ16世時代、1787年ヴェルサイユの勅令により廃止)。おそらく旧教徒と新教徒との対立が再び起こり、ある種の抑圧もあっただろうことは想像がつきます。

モンペリエは元々プロテスタントが支配的だった土地ですから、このカトリックとプロテスタントの対立の歴史を無視することはできません。

「40年の戦争」は諸外国との数次に渡る対外戦争を示します。1667年の南ネーデルラント戦争(現ベルギーとの国境)に始まり、オランダ戦争、ファルツ戦争を経て1713年に集結するスペイン継承戦争がありました。ルイ14世、ルイ15世時代に多くの戦争が行われ、膨大な戦費により国家予算が疲弊しルイ16世時代にフランス革命が起こった遠因となったんですよね。

凱旋門の献辞に話を戻すと…
1行目の王に、2行目の民衆を対置させ、(それとなくフォンテーヌブローの勅令により分裂を引き起こしてしまったことを示唆しつつ?)、その2行目の国内問題に対して3行目の対外戦争、3行目の戦争に対し4行目の平和を対置させていると見ることができそうです。更に4行目の平和状態と1行目の長期安定とが呼応していると読むこともできるかもしれません。

最後の方文法が少しややこしいですが、bellōはbellum(戦争)の奪格、つまり「戦争から」とか「戦争により」という意味。conjuratīsは「共に行動を起こす」意味のconjurareの過去分詞。bellumが奪格なのでこれにかかる過去分詞も奪格になります。partaはparere(産む、もたらす)という動詞の過去分詞。pax(平和)が単数女性名詞なので過去分詞も単数女性のpartaとなる訳ですね。

最後のpartaは現代フランス語では partir(去る)の単純過去形で、後に1715年というルイ14世の没年が刻まれているので、長い間、「ルイ14世は1715年に没した」というのが主文であると勘違いしていました…。ラテン語の文章にいきなり現れる「1715」というアラビア数字、変だなとは思っていたんですよね…。

シャトー・ドー Château d’Eau

凱旋門を通り過ぎると馬に跨ったルイ14世の銅像があり、ペイルー遊歩道の先にシャトー・ドーがあります。

ペイルーPeyrouの語源はpierreux(石でごつごつした程の意)、こんなに整備された公園ではありますが、元々は石がごろごろ転がっていたような土地だったのかもしれませんね。

シャトー・ドーは1768年に建造されました。六角形でコリント式円柱を備えています。14kmに及ぶ上水道acqueducの終着点です。

マルセイユも上水道の先に宮殿palaisが建っていますね(その一翼は美術館になっています)。ここモンペリエの方はお城chateauです。お城というと、実物はかなり名前負けしてしまいますが。コリント様式の円柱が建っているので(古代ギリシャ風に)神殿とか寺院templeとか名付ければいいのに、と内心思ったりもしましたが、それはさておき…。

明るいベージュの色合いといい、調和の取れた姿形といい、青空をバックにしたこの「水の城」は美しく見ていて心地よいです。

サン・クレマン水道橋 Aqueduc Saint-Clément 別名アルソー水道橋Aqueduc des Arceaux

その裏手にはサン・クレマン水道橋acqueduc Saint-Clémentが続いています。モンペリエの水不足問題を解決するため、1754年、アンリ・ピト=ド=ロネHenri Pitot de Launay技師が起用され、ポン・デュ・ガール(ローマ帝国時代、紀元前50年頃建造)をモデルとして造られました。側面を見ると確かによく似ています。

1954年に歴史建造物に指定されました。

源泉であるサン・クレマン川とシャトー・ドーを結ぶ全長14kmに及ぶ建造物です。本来の名称はサン・クレマン水道橋acqueduc de Saint Clémentですが、アルソー水道橋という俗称の方がよく知られています。アルソーはモンペリエ市内のその地区の名で、実はその地区名自体、この水道橋の形であるアーチarcheに因んで付けられたんですよね。

17世紀当時はこの水道橋により充分な水がモンペリエ市内に供給されていましたが、現在ではもう使用されていません。この都市が拡大するにつれ、別の近代的な設備が取って代わりました。

3. ビーチ

モンペリエに来たからにはこの地中海の海で泳ぎたいものです。何と言っても広々とした砂浜はやはり心地よいです(ニースのビーチは小石、マルセイユは小石と砂の中間…。どちらも美しいビーチで市内からのアクセスも良いのですが)。

よく知られたビーチとしては西のパラヴァス・ビーチParavas Les Flots、東のグランドモット・ビーチLa Grande-Motte、そしてその中間のカルノン・ビーチCarnon Plageです。

ビーチへの行き方

ビーチへの行き方は、行きたいビーチにしたがって、モンペリエ市内のトラム駅に行き(詳細は後述)、そこからバスに乗って行くのが一般的です。

サン・ロック駅からは4本全てのトラムに乗車することができます。コメディ広場は1号線と2号線が通っていますね。

トラム路線図(1号線=青、2号線=オレンジ、3号線=黄緑色、4号線=茶色)

パラヴァス・ビーチへの行き方。トラム4号線ガルシア・ロルカ駅Garcia Lorcaへ。そこからバス631番線に乗って終点パラヴァス下車。

その他のビーチ(カルノン、プチ・トラヴェール、グラン・トラヴェール、グランドモット)への行き方。トラム1号線プラス・ド・フランス駅Place de France (Odysseumの1つ手前)へ。バス606番線に乗り目的のビーチがある場所で下車(終点はエーグ・モルトAigues-Mortes)。

あとはトラム3号線でペロル市(終点エタン・ド・ロールEtang de l’Orまで行き、カルノン・ビーチまで歩いていく(20分ほど)という方法もありますが、少し面倒ですね。将来このラインが延伸してカルノンまで行ってくれれば良いのですが。

交通手段

モンペリエ市内の移動は徒歩で充分ですが、ビーチに行くためにはトラムとバスに乗るので、交通手段について知っておく必要があります。

モンペリエ市内を走るトラムTaMという会社が運営、市外に行くバスエロー交通Heraut Transport(エローはモンペリエ市がある県の名前)が運営しています。

TaMの乗車券は1.80€、1日乗車券は4.30€ですから(2022年10月現在)、3回以上乗るのであれば1日乗車券を買ってしまった方が良いですね(ビーチに行く前にぐるっと市内を周ったり、Odysseumの新ショッピングセンターに行くこともできますし)。

他にお得なチケットとしては、家族・グループのための一日乗車券フォルフェ・ファミーユForfait famille」があります。最大5人まで一緒に乗車する場合に使えます。なんと6.50€です。3人で出し合ったとしても1人2.17€、これで24時間トラム乗り放題です。

トラムのどの停車駅にも券売機があり、クレジットカードまたは現金で買うことができます。2回目は同じ券にチャージすることができます(料金は同じですが…)。

労働者のための祝日5月1日を除く毎日、4時30分から深夜1時まで運行(金・土はさらに遅く1時40分まで)。

乗車時は、最初に乗る時も乗り換え時も、車内の検札機にかざすこと。1日券は最初にかざした時に有効化(アクティベート)され、24時間有効です(パリのようにその日の24時で無効にはなりません)。

ビーチ行きのバス606番線や631番線は別会社(エロー交通)が運営していますから、TaMの乗車券は使えません。別途支払う必要があります。行き先がどこであっても一律1.60€です。乗車時に往復分2枚を運転手から買ってしまう(3.20€ですね)と良いかもしれません。

ということで、ビーチに行くには最低限で6.80€(TaM乗車券2枚+バス往復)かかることになりますね。TaMの方を1日券にすると7.50€かかりますが、プラスαの楽しみ方ができます。

券種チケットの名称料金
1回券1 voyage1.60€
回数券(10回)10 voyages10€
1日券1 jour4.30€
家族券Forfait famille6.50€

4. アンチゴーヌ集合住宅

1978年カタルーニャの建築家リカルド・ボフィルRicardo Bofillにより構想が練られ、1980年だいに建設された集合住宅。古代ギリシャの建築様式に想を得ており、全体的に調和の取れた美しい建物群です。

コメディ広場からはポリゴーヌPolygoneというショッピングセンターを真っ直ぐ通り抜けるとその延長線上にあります。

モンペリエやニームは元々カルタゴ系植民地との経済交流で発展した町でした。それが徐々にギリシャ系植民地から出発したマルセイユとの交流によりギリシャ系文化が広まりました(出土した土器類がそれを物語っています。トロイ戦争等の場面を描いた壺や食器ですね)。そしてギリシャを征服した古代ローマ帝国が南フランス一帯を覆った歴史があります。

ニームは「フランスのローマ」と呼ばれるように、闘技場や、ローマ人が建造した水道設備(ポンデュガールの水道橋もよく知られていますね)が残っており、このローマ的要素を強調しているようです。それに対しモンペリエはギリシャからの影響の方を前面に押し出しているように思えます。

そして都市建設上、コメディ広場を中心にして西側に伸びる軸上にペイルー公園や水道橋、反対の東側にはこのポリゴーヌとアンチゴーヌが直線上に配置されています。

名称の由来ですが、ポリゴーヌpolygoneは多角形を意味し(ペンタゴンは五角形ですね)、元々練兵場だったこの場所がこのように呼ばれていました。そのような形状だったのでしょうね(五角形でも六角形でもなく)。そしてポリゴーヌの向こうにアンチゴーヌ…これは言葉遊びですね。ギリシャ神話の登場人物の名で、その言葉遊びに乗ってギリシャ風の建築物が建てられたという訳。

話をアンチゴーヌに戻すと、真ん中を貫くプロムナード(遊歩道)の両側にギリシャ風の建築物が立ち並び、そのプロムナードには著名な彫刻のコピー*が陳列されておりとても優雅です。

 * サモトラケのニケや狩猟の女神ディアーヌ、ゼウス像など。

5. ファーブル美術館 Musée Fabre

画家でもあり美術品蒐集家でもあったフランソワ=グザヴィエ・ファーブル(1766-1837)は1834年、長いイタリア生活を通じて蒐集した美術品をモンペリエ市に贈与することを提案しました。それらを展示する美術館を建設することを条件として。

ファーブル自身は1787年のアカデミーで絵画部門のグランプリを受賞した程の腕のある画家でした。ちなみに「ファーブル昆虫記」で有名なジャン=アンリ・ファーブル(1823-1915)とは別人です。

当時のモンペリエ市長はダクサ公爵marquis d’Axatが務めており、彼自身非常な美術愛好家、そしてファーブルの友人でもありました。ファーブルによる美術品贈与について1825年モンペリエ市議会は全会一致で承認しました。王政復古時代であり国王シャルル10世による承認があって初めて、外国の美術品がフランス国内に持ち込まれ、モンペリエ市の名において受領することができました。

3年の歳月を経て美術館が建設され、1828年12月3日にオープンしました。その後他の人からも贈与が行われ、本館の他 別館も必要とするほど展示品は拡充しました。現在フランスで重要な美術館の1つに数えられるので是非とも訪れたいものです。コメディ広場からすぐなのでアクセスも良いです。

住所:39 Bd Bonne Nouvelle, 34000 Montpellier
開館日・時間:月曜を除く毎日、10時〜18時
入場料:9ユーロ(常設展)、12€(臨時展)

あとがき

いかがでしたか?

コメディ広場、凱旋門とシャトー・ドー、ビーチ、アンチゴーヌ住宅街、ファーブル美術館をご紹介しました。1カ所に集中しているものは1項目としました。ビーチ以外は全て徒歩圏内、それこそ1日で周れてしまうアクセスの良さです。

ビーチのみ行き方が少しややこしいので、交通機関の説明も加えてみました。

夕食はhôtel Océania Le MétropoleというホテルのガーデンにあるLa Closerieというレストランで採りました(3 Rue du Clos René, 34000 Montpellier)。滞在は別のホテルでしたが、普通に利用できます。雰囲気はとてもよく料理も洗練されていたので個人的にお勧めです。目安としては2人で1万円ほど、安くはありませんが満足度は高いと思います。

車で南仏を旅行していたのでホテルは駐車場付きの所を利用しました。Eurociel Centre Comédieというホテルです(1 Av. du Pont Juvénal, 34000 Montpellier)。モンペリエ中心部は車で通行することができないので、車はホテルの駐車場に駐めておき、コメディ広場に徒歩で素早く移動できるのは大変便利だと感じました。部屋も快適です。

季節はやはり5−10月初旬までがお勧めです。